海外旅行
 2010-1-2改訂      

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 昔、「カンの構造」という本を読み、カンが働くとはどういうことか納得したことがある。よく言われる「経営者のカン」「科学者のカン」「勝負師のカン」など、その道に精進した人に特有のひらめき、直感力についてである。
カンがよくなる為には、先ず脳細胞に豊富な知識、経験、思考結果がインプットされていなければならない。それがアトランダムなものであっても、バライアテイに富み、豊かであればある程よい。
ある場面で、それらの脳細胞が刺激を受け、情報が瞬時につながり、瞬間的に理解、判断が下せるのがカンが働くということだそうだ。従って、子供で、素晴らしく記憶力、理解力の良い子、数学のできる子はいても、カンの良い子とは聞いたことが無い。
海外旅行を振り返る時、様々な場面が強烈に蘇るが、アルバムを見てこんなこともあったのかといった程度の記憶のところもある。トルコに行く時は、事前にトルコの歴史、現状などの勉強もするし、海外旅行は、私の世界的な視野と、カンを磨く糧になっていることは間違いない。


私の海外旅行歴(含・業務)

1、昭和41年10月〜11月(業務)


 記録によると10/12・22:30羽田発、11/17・18:20羽田着。延べ36日間の恵まれた業務出張だった。
目的はパリのモーター・ショー、ロンドン・ショー、トリノ・ショーの調査及び海外の自動車技術調査であった。我々の世代は、若い時に海外経験のチャンス等無く、明治維新以来の欧米先進国への憧れは強烈なものがあり、自動車技術においても、欧米が先導しており、このチャンスを頂いた時には大変感激した。
従って、事前準備として出来るだけ多くの訪問先のアポイントをとり、現地では貪欲に歩き回った。
初めてのパリでは全てが新鮮で、朝5時起きして、地図片手にあっちこっち歩き回った。その為、パリ市内地図は、頭にこびりついており、東京都内よりイメージとして明確に描くことが出来る。
その後何回か、観光で立ち寄っているが、初回ほどの感激は無い。
この時立ち寄った都市は、パリ→ブリュセル→ロンドン→デュセルドルフ→ジュネーブ→ローマ→トリノ→ニューヨーク→デトロイト→ロスアンデルス→ホノルル等世界の主な都市を一瞥した感じである。


2、昭和51年(業務)

 担当の試作課員の技能五輪金メダル獲得に伴い、日韓親善技能競技大会の役員として韓国出張。
同行メンバーの中に、東芝の総務部長で龍中の先輩のH氏がいた。その時、華々しい発展途上の韓国を見た。釜山・慶州・ソウルを訪問。浦項製鉄所、現代造船所を視察。


3、昭和52年(業務)

新技術の、バンパーなどの成形に使う、リアクシヨン・インジェクション・モールディング工法の導入の為欧米出張。

4、.昭和55年(業務)

海外事業のスペイン担当として3回、延べ約60日スペインに出張。主にバロセロナ。その他、マドリッド、アビラ等。スペイン、フランスの国境にある小国アンドラにも行ってみた。
スペインの自動車会社のモトール・イベリカに対し、当初は日産の資本参加は1/3だったがその後、逐次出資を続け、遂に100%の子会社になり、社名も日産モトール・イベリカ社になった。
英国日産と並び、欧州の二大生産拠点になっている。
現地で生産する車種を検討する為に、設計部長及び課長の4人が来日したが、我が家に招待し、日本料理をご馳走し、家内手作りの木目込み人形をプレゼントしたら大変喜んでいた。その中の1人が、その後日産モトール・イベリカ社の社長になったと聞いている。
モトール・イベリカ本社 プリンセス・ソヒア・ホテル バルセロナ郊外・モンセラ バルセロナ郊外・遺跡
バルセロナ郊外リゾート地 ランブラス通り スペインからの客 我が家の庭で記念写真


5、昭和55年(妻)

実家の母のお供をして初めての海外旅行。シンガポール、バンコック、香港。田舎のおばさん達の買い物時のお金の計算の世話が大変だったらしい。大分頼りにされた。

シンガポール タイ・チヤツクリー王宮 バンコック・水上マーケット ホンコン・海上レストラン

6、昭和57年(業務)

海外生産拠点のある、メキシコ、米国出張。

メキシコ日産 テオティワヵンの遺跡 米国日産・スマーナ 駐在員Fさんの自宅


7、昭和58年(業務)

海外生産拠点のあるオーストラリア・メルボルン出張。現在は撤収。

オーストラリア日産 カンガルーのいる公園 山火事の跡 メルボルン郊外の海岸

8、昭和59/4

会社の勤続30年記念旅行として、行き先はハワイ他幾つかのメニューがあったが、当時はあまり観光客が行っていない中国の上海、北京を選択した。
中国が解放政策をとり、観光受け入れを始めた頃で、たてまえは日中親善友好団の訪中と云うことになっていた。従って、上海では人民公社、幼稚園、刺繍作業場、造船技師の住宅、中国雑技団など、普通の観光では見られない所に案内された。
北京では、万里の長城、故宮博物館等々。その時の現地ガイドに昭和62年中国観光の時、偶然再会した。

上海・豫園 上海の雑踏 熱烈歓迎・日本朋友 天山新村・幼稚園児
造船技師の自宅 中国雑技団 魯迅の像・虹口公園 明の13陵への参道
万里の長城 故宮 自由市場で焼芋を 天安門広場


9、昭和60年(業務)

主として、樹脂成形技術の調査のため欧州出張。

10、昭和60/4(妻)  香港、マカオ

親孝行として母と共に、母の初めての海外旅行。

水上レストラン
香 港 水上レストラン マカオ