16、昭和63/11(妻) ハワイ

ハワイ、実家の母と一緒に旅行。停電になり、エレベーターが使えず、ホテルの上階から降りるのが大変だったらしい。

カウアイ島 オアフ島巡り ポリネシア文化センター・オアフ島

17、平成1/5 トルコ、ギリシャ

東西文化の交叉点で、様々な民族が往来し、国々が栄枯盛衰を繰り返したトルコを見たいと思い出かけた。
出発時に予定のBAが故障で飛べず、1日目ロンドンで1泊、翌日イスタンブールに飛ぶ予定がキャンセルされ、東回りで、UAでサンフランシスコ迄、LHでフランクフルト迄、ここで更にLHに乗り継ぎイスタンブール迄の延30H35Mのうんざりする飛行になった。
予定の観光も、初めの所でカットされた。日程の都合で比較的高価なツアーを選ばざるを得なかったが、その後何の挨拶も無いのは残念である。
事前の調べで、日本がトルコを圧迫していたロシアを日露戦争で破ったということもあり、大変親日的な国であるいいうことが分かった。アタチユルクの改革も、明治維新を参考にしたらしい。
イスタンブール→チャナッカレ→イズミール→マルマリス→ロードス島→アテネのコースを観光しながら回った。
イズミールは羊の製革工場が多く、町に異臭が漂っていた。ここで本物のトルコ風呂(日本のものとは違う)を体験。

サンフランシスコ空港 ラマダホテル ベリーダンスの夕べ ブルーモスク
アヤ・ソヒア・モスク トプカプ宮殿・パチオ トプカプ宮殿から グランバザール・入口
グランバザール シーフードレストラン トロイの遺跡 ベルガマの遺跡
エフェソスの遺跡 エフェソス博物館 絨毯工場見学 マルマリスの朝

イズミールの南、トルコ西海岸の美しいリゾート地のマルマリスに一泊、船でロードス島に渡った。この島も紀元前からの古い歴史を持ち、支配者も変遷したが、1948年からギリシャ領になった。

ロードス 小馬でリンドスへ リンドス ロードスの港

ロードスから、オリンピック航空でアテネに向かう。ここは、2年前に訪れており、再度の観光となる。
アクロポリスの丘の観光はパスして、家内と共に自由にアテネ市内を歩き回った。

衛兵の交代・国会議事堂 オリンピックスタジオ前で リカベストの丘 タベルナの夕べ

帰りは、予定通り、BAでアテネからロンドン、ロンドンで乗り継ぎ無事帰国した。トルコは、再度訪れたいところの一つだが、果たしていない。

18、平成2/5 バリ島、ボロブドール

5月の連休を利用してのスケジュールで、選択肢が限られていたが、インドネシアのバリ島、ボロブドールに旅行した。
出発は、2人だけで現地ガイド付きと言うことだったので、空港にバスが待っているものと思っていたが、思いがけなく、専用のドライバー、現地ガイド付きの専用車による観光だった。約10Hかけて、ジャカルタ経由で夕方に、デンパサールに到着、直ちにホテル・バリ・ビーチに入る。広々とした庭園を持つ、綺麗なリゾ-トホテルだった。翌日、午前デンパサール市内を観光。

バリ・アート・センター
民俗楽器・ガメラン ガルーダ、悪魔よけ等・バリ・アート・センター
ヒンズー教・寺院 街の守護神 独立記念碑 マーケット

午後、飛行機でジョグジャカルタに飛び、プランパナン寺院等を観光、夜、ホテルでディナーショーを楽しむ。翌日は、ジョグジャカルタの北西、約40KMのボロブドール遺跡を観光。デンパサールに戻る。

プランバナン寺院 ホテルの朝 王宮・ジョグジャカルタ
プランバナン寺院 スルタンの家系図・王宮 ボロブドール遺跡
ボロブドール寺院
ガジュマロの大木 コレクションハウス ボロブドール遺跡

翌日は、ホテル周辺の散策、サヌールビーチで、グラスボートで海中を探索、夜は、有名なケチャックダンスを鑑賞。次ぎの日は、キンタマーニ山の観光。
21:00発の飛行機で香港経由で帰国。5泊6日の短期の旅行だったが、南国の美しい海と山、遺跡、異文化と美味しい食事を満喫できた。
どこに行っても、極めて親日的で欧米人も多勢観光に来ていたが、日本人を優位に扱ってくれたように思う。

サヌールビーチ フラワー・フェスチバル ホテル周辺散策 ホテルの朝
バロン・ダンス タンパクシリン寺院
キンタマーニ山 ベドウルのゴアガジヤ タンパクシリンの泉 クタビ-チのサンセット

19、平成2/10 韓国

韓国のソウル→儒城温泉→扶余→公州→釜山→慶州利川→ソウルと回る旅だった。
ここで生まれ、或いは育ち懐かしく思う母、妹2人と5人で
行った。
13:30にソウル・金浦空港に降り、ソウルの国立中央博物館(旧朝鮮総督府)に立寄り、京釜高速国道で儒城温泉に向かう。
知らなかったが、この日が韓国のお盆の日に当たり、帰省の自動車で大渋滞だった。
電力節減で高速道路の照明は暗かった。
儒城温泉の大浴場は、幾つかの湯船があり、外部から帰省客も入りに来ており、混雑していた。
裸になれば、私が日本人とは気がつかなっただろう。
翌日は、百済の旧都だった扶余、公州を観光。

儒城観光ホテル ホテル周辺
国立中央博物館・ソウル 百済王陵・扶余 武寧王陵・公州
国立扶余博物館 扶蘇山 扶蘇山から白馬江を望む 白馬江
国立扶余博物館 定林寺址・扶余

翌日は、儒城温泉から釜山に向かい、龍頭公園、国連共同墓地、魚市場を観光。魚市場では、生きた魚をその場で料理して食べさせる所があった。夜、ホテル周辺の海雲台のビーチに連なる屋台店を覗いて見た。

釜山市街 市場
国連共同墓地 ビーチ沿いの屋台 龍頭山公園

翌日は釜山から慶州に向かい、石窟庵、佛国寺、慶州博物館、古墳公園、武烈王陵を観光、夜はホテルで民俗舞踊を鑑賞。

石窟庵
佛国寺 国立慶州博物館
国立慶州博物館 古墳公園 武烈王陵 民俗舞踊・ホテルで

翌日は、利川の民俗村、窯元を見学後、ソウルに向かう。次ぎの日は、出発まで、景福宮、オリンピック村跡など観光。

利川民俗村
利川民俗村 景福宮

20、平成5/12 シチリア・南イタリア

年末、年初の休みを使ってシチリア、南イタリアを旅行した。既に、ローマ以北のローマ、ベネチァ、ミラノ、トリノは行ったことがあるが、地中海に突き出て、特異な歴史と文化を持つシチリアを見たいと思い出かけた。AZでミラノ経由でローマへ。
翌日10:30にシチリアのパレルモに。直ちに市内観光に入ったが、余り人の行かないカタコンベを特に案内してもらった。生存時の衣服をまとったままの状態で、ミイラ化した立像、横臥像が多数あり、異様な雰囲気をかもし出していた。生存時と変わらないロザリオのミイラ像も安置されていた。特殊な、技術が使われているとのこと。
パレルモのホテルでは、暖房が無く、寒かったが携帯カイロが役だった。イタリーは原子力発電をしていないので、フランスから買電、節約しているとのこと。現地の人は、寒さに強いらしい。

マーケット・パレルモ カテドラーレ プレセーペ・カテドラーレ
サン・ジョヴァンニ・
デリ・エレミティ教会
テアトロ・マッシモ モンレアーレ教会・パレルモの南郊外

翌日は、モン・レアーレ教会を訪れた後、セジェスタ・デリヌンテの神殿群を観光。途中、ドライバーの知人のオレンジ農園に立寄る。アグリジェント泊。

ギリシャ神殿・セジェスタ ギリシァ劇場・セジェスタ ギリシァ神殿・セリヌンテ
オレンジ農園・ドライバーの知人 ギリシァ神殿・アグリジェント
アグリジエントの街を望む アーモンドの花 ギリシァ神殿・アグリジエント

翌日は、アグリジェントの神殿群を観光後、シチリアの中心部のエンナ、ピアッツァ・アルメリーナを経由、タオルミナに向かう。タオルミナ泊。次ぎの日は、タオルミナを観光して、ナポリに。

ノルマン王城・エンナ 古代ローマ・カザーレ莊・ピアッア・アルメリーナ 公園・タオルミーナ
ギリシァ劇場・タオルミーナ タオルミーナの街

翌日はナポリ市内観光後、ポンペイに、その後ソレント泊。次ぎの日はカプリ島の観光予定だったが、家内が体調を崩したのでこれをパス、ソレントの街を散策、夜はナイトパーティー。

ナポリ湾の朝 カステル・デル・オーボ ナポリ市街 ナポリ博物館
ナポリ博物館 ポンペイ
ポンペイ ソレントの街 ナイトパーティー ソレント

翌日はナポリに戻り、高速道路を一路ローマへ。着後、自由行動。

サンピェトロ広場 プレセーペ・広場の ヴァチカンの城壁 サンタンジェロ城
テレベ川よりサンピェトロ
寺院を望む
ナボーナ広場 スペイン広場 プレセーペ・スペイン広場

翌日は、ミラノ経由で帰る。