1−14
朝三亜をたち、広州に到着。ここへは三度目の訪問になるが、近代化した新空港、高速道路の整備、高層ビルをはじめ街の様子は一変していた。昼食後、南越王の石室と出土品を展示している西漢南越王博物館を見学した。
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昼食レストラン | 西漢南越王博物館 |
次いで、明代の1380年に建てられた五層の鎮海楼(広州博物館)を見学した。明代には、ここが要の中心になり、城壁で囲まれた市街だった。
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鎮海楼 | 内部の展示・右は旧市街の模型 | 市街を見下ろす | |
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旧城壁 | 鎮海楼 | 大砲 |
六榕寺は約1400年前に建てられた古刹で参拝した。は約1400年前に建てられた古刹で参拝した。
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六 榕 寺 | |||
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六 榕 寺 |
夕食は、子豚の丸焼きのついた広州料理を賞味後、広州の夜を飾る珠江のナイトクルーズでライトアップされた市街を鑑賞した。
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夕食の広州料理 | 珠江のナイトクルーズ | ||
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珠江のナイトクルーズ | 左側が宿泊したホテル |
ナイトクルーズの後、人々で賑あう広州の中心を散歩した。日本料理の店も散見したし、道路工事で出土した遺跡を道路の真中に保存しているのも、中国式かと思った。
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広州の夜の賑わい | 道路の真中の遺跡 |
翌15日、8:15に広州発、13:20に成田到着、約4時間5分の飛行だった。
33、平成18/6 ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア
ロマノフ王朝の圧制の元に虐げられていたロシア民族が、1917年、レーニンの指導の元にロマノフ王朝を倒し、マルクス・レーニン主義によるプロレタリア革命を実現、ソビエト連邦を形成し、共産主義による、共産党の一党独裁政権を樹立した。
資本主義各国は、共産主義による革命の伝播を恐れ、ソ連に出兵干渉した。国の体制がまだ流動的ということもあるが、レーニンの後継のスターリンは、国内の旧ブルジヨア階級、反対勢力に徹底した弾圧、粛清を行った。
人間は本来、多様な考え、趣向を持っているし、束縛なしに自由に生活したいと思っていると思う。人間性を無視したこの様な体制が長続きする訳も無く、1985年のゴルバチョフによるペレストロイカに始まり、言論の自由、民主主義の導入などにより、1991年末に世界初の社会主義国家は解体した。それと共に、ロシア、ソ連、ドイツ等周辺の強国に支配、翻弄されていたバルト三国が独立を果たした。歴史上に度々出現するロシア、バルト三国の現状、有名なサンクトペテルブルグとエルミタージュ美術館、TV等では良く見かける赤の広場などを見たいと思い出かけた。欧州の地図を見て、まだ行った事のない地域ということもある。
6-16 サンクトぺテルブルグ泊
成田12:00発、アエロフロート・ロシア航空でモスクワ迄10H25M、ここで国内線に乗り換えサンクトぺテルブルグ着20:55。
白夜でまだ明るい。1:00〜3:00位が暗い由。時差5H。17世紀末から18世紀初にかけロシア史上に並ぶものが無いピョートル大帝が、「苔むす沼沢の地」であった地に砦を築き、西ヨーロッパの諸都市に負けない都市の建設を始めた。その後継者が逐次拡大して現在に見る大都市を完成させた。ホテルは主要道路のネフスキー大通りから少し入った立地の良い所だった。
1ルーブル≒¥5
6−17 サンクトペテルブルグ観光
朝時間に余裕があったので、ホテルの付近を散策した。計画的に作られた都市なので、広々とした大通りが縦横に走っている。
その後、エルミタージュ美術館、スパース・ナ・クラヴィー教会、イサーク大聖堂、ワシリー島、スモールヌイ聖堂等主な見所を巡り、夜は民俗舞踊を鑑賞した。一日で回るには、やや忙しい日程だった。
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朝のホテル前 | 通りの古い車 | わが車と同じセフィーロ | ネフスキー大通り |
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フォンタンカ運河 | マーケット | ペトロパヴロフスク要塞 | ワシリー島 |
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エルミタージュ美術館入口 | エルミタージュ美術館内部 | 宮殿広場 | |
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宮殿広場 | エルミタージュ美術館内部 | ||
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エルミタージュ美術館内部 | デカブリスト広場とイサーク大聖堂 | ワシリー島 | |
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巡洋艦オーロラ号(日露戦争で使用) | スモールヌイ聖堂 | ロシア民俗舞踊 |
6−18 ピョ−トル夏の離宮、エカテリーナ宮殿観光
サンクトペテルブルグの西西南約50KMのペトロヴォレツェにあるピョートル夏の離宮及び南方約45KMのプーシキンにあるエカテリーナ宮殿を観光した。
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ピョートル夏の離宮庭園・入口 | |||
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ピョートル夏の離宮・内部 | |||
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離宮・庭園 | レストラン・鼠 | エカテリーナ宮殿 | |
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エカテリーナ宮殿 | 宮殿・内部 |
6−19 朝サンクトペテルブルグ発、エストニアへ
バスで約5H30M走行、国境を越えエストニアに入る。エストニアの面積はほぼ九州と同じ。人口約140万人。バスから見る限り、一面に草原が広がり、人影もまばら、牧畜業の様子も、農業の気配も感じられない。
1クローン≒¥10
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ナルヴァ城・エストニア | イヴァンゴロド城・ロシア | ||
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ナルヴァ城・エストニア | タリン港・バイキングライン・エストニア | 民俗野外博物館 | |
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エストニア民俗野外博物館 | |||
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エストニア民俗野外博物館 |
6−20 タリン市内観光
首都タリンの人口は約50万人、エストニアの人口の約1/3が集まっている。ソ連からの独立を願い、30万人の人々が集結した森は野外ステージになっている。トーンペア城、旧市街、盛んに復旧工事が各所に見られた。
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ホテル | 30万人の人が、独立の思いを歌い集った歌の原 | 城脇の公園 | |
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城脇の公園 | トーンペア城・ドーム教会 | ||
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トーンペア城 | |||
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タリンの旧市街 | タリンの旧市街(トーンペアの丘から) | ||
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ラエコヤ広場・タリンの旧市街 | タリンの旧市街 |