2.造船業を支えてきた技術

2−1工作技術(米国式建造法)
    工作技術面では、全面的な溶接の採用に続く大型ブロック建造方式の採用、各種工作法の自動化、
  先行艤装法の採用等でありました。
  戦争中の日本では溶接に対する根強い不信感があり、リベット接合法が主流のまま戦後を迎えました。
  昭和25年に引渡されたDWT18,000トンの戦後初めての輸出タンカー、ファンマノー号では87万本の
  鋲が打たれ、溶接比率38%であったと記録されています。一方、戦争中の米国では非常に多くの戦時
  標準船が全溶接構造で建造され、なお又ブロック建造法が採用され船の建造は工場内や他所で造られた
  ブロックを集めて組立てる方式で造船が行われました。戦後日本は、いち早くこの米国式造船法を学習し
  採用、発展させてきました。日本造船は100年前に英国より造船学を習い50年前に米国より建造法を学
  んで今日に来たと言ってよいと思います。
  この米国式建造法には大きな欠点がありました。それは脆性破壊の問題でした。資料の写真は有名な
  Tー2タンカーSchenecterdy号の写真です。
  本船は1943年に建造されその年の1月試運転終了後係留中に一大音響と共に真二つに折れてしまいま
  した。記録によると約5,000隻の全溶接戦標船が建造された中で1,000隻以上に何らかの破損が発生
  し10数隻は真二つに折れたと報告されています。
  戦後の日本造船は早速この問題に産官学協同で材料面施工面で解決に取組み見事に解明していきま
  した。
  これ等戦後の新しい建造法は設計面での改善、工程管理の合理化を加えて目覚しい他国の追随を許さ
  ない生産性の向上をもたらし、日本造船を長年にわたり不動のものとしてきました。

2−2設計技術

   次に技術面では大型化、専用船化があげられます。
a)大型化の進行

    私が入社した昭和29年には19,000トンのタンカーがスーパータンカーとして建造されていました。増大
  する世界経済の要求は経済性の面から大型化を要求し、タンカーは10数年の中に50万トン迄行ってしま
  いました。(資料4頁、5頁参照)
     私も当時設計に従事、構造設計を担当しておりましたが、急激に大型化する船の  構造の安全設計に
  心血を注いだ記憶が今もありありと残っております。昭和46年に40万トンの設計を完了すると共に、
  10隻の受注を確保、更に100万トンのタンカーの構造設計をまとめている時にオイルショクが到来、世の
  中は一変したわけです。10隻の40万トンタンカーは3隻が実際に建造されましたが、残りはキャンセル
  されるか他の小型船に変更されて消えて行きました。
   大型化は他の船種ではオイルショック以後も続いており、コンテナー船ではパナマ運河通行可能という
  ことで、最大船型が制限されていたものが、ここ数年のオーバーパナマックスブームでパナマは通らない
  多数の大型コンテナー船が建造されています。

b)専用船化

      船の種類は戦前と戦後で全く変わってしまいました。
  戦後15年間位は昔なつかしの一般貨物船が主体に建造されていました。
  三島型と言い中央に機関室とブリッジを持ち、前後の貨物艙には通常中間デッキを持った貨物船で、鉱石、
  石炭から穀類、雑貨とそれこそありとあらゆる貨物を積んで世界の港々を巡った船であります。1960年頃
   から増大する世界経済の輸送需要は船の専用船化を促し、コンテナー船の出現と共にかっての花形一般
貨物船は姿を消してしまいました。資料3頁にいくつかの専用船の例を示しました。
  
c)省エネルギー技術

  少ない馬力でより速く走ると言うことは造船屋にとって永遠の技術課題であります。特にオイルショック
  以後燃料が高騰し船の運航コストの半分以上を占めるようになり、省エネルギー技術が非常にクローズ
  アップされました。
    本問題についても日本造船技術は輝かしい実績を収めました。資料7頁にその例を示します。大型タン
  カーでは20年余の期間で実に50%近い省エネルギーを達成しています。改善項目としては

   @ディーゼル機関自身の燃料消費の改善

      スーパーチャージャーと高性能化
      燃焼圧力の昇圧
      ロングストローク
      排ガスエネルギーの利用等々その改善は一時燃費競争と
      言われたくらい目ざましいものがありました。

   A抵抗推進の改善

      船型、線図の改善
      付加物の開発(ダクトフィン等)
      低回転大直径プロペラの採用
      風圧抵抗の軽減 等々であります。

   [エピソード]
    製鉄業は多量の石炭、鉱石の輸送が必要なことから一面輸送業と言われる程の多量の海上輸送が
   必要です。昭和50年代の燃料費高騰時に鉱石トン当たり燃料費を半減したいということであらゆる省
        エネルギー技術を駆使してDW20万トンの超省エネルギー船を荷主、船主、造船所三者の協力の下
        で  完成しました。
      一番のポイントは2サイクルディーゼル機関の通常100回転前後の回転を減速歯車で毎分45回転
        まで落とし、その回転に見合った大直径3翼のプロベラを装備したことです。
    これがその写真ですが、直径が11M、重量85トンあり、現在でも世界最大のプロベラとしてギネス
        プックに採録されております。
    私はこの船の試運転に乗船しましたが、全力航走中でも航跡が白くなくて緑色をしたもので大変に
       印象深いものでした。日本古来の櫓と同じで、ゆっくり動かす事は大変効率的なわけであります。

3.どのような船が造られているか

   先程専用船の項で若干述べましたが、現在造られている船の写真を若干用意しているのでご覧頂き
     たいと思います。
    [OHP]