15、足利、喜連川、栃木 2005−7−14〜157−14
足利市は、室町幕府を開いた足利尊氏の一族の出身地である。足利学校の創建は古く、奈良時代の国学の遺制説などがあるが、歴史が明らかなのは、上杉憲実(室町時代)が書籍などを寄進して、学校を中興した頃である。天文19年(1550)には、フランシズコ・ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な板東の大学」と世界に紹介、学徒三千ともいわれた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
足 利 学 校 | |||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
足 利 学 校 |
足利学校を観光した後、隣接している足利氏ゆかりの古刹のD阿寺(ばんなじ)を訪ねた。ここは、建久
7年(1196)に足利氏2代目の義兼が自らの邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祠ったのが始まりで、足利氏一門の氏寺であった。国・県、氏の重要文化財も数多く存在する。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
D阿寺(ばんな寺) | |||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
D阿寺(ばんな寺) |
7−15
喜連川温泉に一泊、古い町並みが残り、蔵の街と言われる栃木市を観光した。栃木は、朝廷から日光東照宮へ参向する勅使の例幣使の通る例幣使街道の宿場町として開け、やがて江戸へ巴波川の舟運を使って物資を輸送する為の産物の集荷地として栄え、多くの商人の蔵が造られた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
喜連川のあじさい道路 | とちぎ山車会館 | ||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
あだち好古館 | 蔵の街観光館 | 山本有三ふるさと記念館 | |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
例幣使街道 | 岡田記念館 | ||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
岡田記念館 | 翁島・岡田氏別宅 | 栃木病院 | 巴波川 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
横山郷土館 | 塚田歴史伝説館(木材回漕問屋の塚田家の旧宅) |
16、三渓園、鎌倉 2005−7−25〜26
鎌倉に美味しい食事のとれる旅館があるのでと、娘の招待で鎌倉に一泊した。25日は天気が良かったが26日は雨で、家内が午前中に帰る必要があったので、10時半頃には自宅に戻った。
25日は今まで行く機会の無かった横浜の三渓園、鎌倉では錢洗い弁天、長谷寺に立ち寄った。
三渓園では、80歳で、大変元気なボランチアガイドについて頂き、効率良く、しかも親切な解説付きで観光できた。うちに引きこもることなく、社会のお役に立ち、前向きに生きられて自分の為にも良いのでやっているとのことだった。三渓園の創始者の原三渓氏を誇りに思い、尊敬している様子が伝わってくる話し振りだった。そうでなければ、この様な仕事は続けられないし、アッピール力を持たないだろう。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
蓮池 | 蓮池から鶴翔閣を望む | 御門 | 臨春閣 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
臨春閣 | 旧天瑞寺壽塔覆堂 | 遊歩道 | |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
月華殿 | 天授院 | 聴秋閣 | 南門 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
横笛庵 | 旧東慶寺仏殿 | 観心橋 | 大池 |
三渓園を後にして、鎌倉に入り、霊水で錢を洗うと増えると言われる錢洗弁天(宇賀福神社)にお参りして、かごで錢を洗ってみた。ここの霊水は、源頼朝が霊示によって発見したと伝えられている。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
錢 洗 弁 天 |
次いで、十一面観音立像で知られる長谷寺(長谷観音)に立ち寄った。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
長谷寺(長谷観音) |