ソウル再訪                                              28期 辰巳 博司

平成6年10月6日から、4日間の日程で、28期の仲間や家族と共に、ソウルを訪れた。
私には、戦後3回目の韓国訪問だが、4日間もソウルに滞在したのは今回が初めてである。
到着後、早速に竜中を訪問した。竜山高校の丁校長に、暖かく丁重に校長応接室に迎え入れられ恐縮した。
幹事の池田君が皆を代表して竜中訪問の趣旨説明とお礼を述べ、心ばかりの寄附金を手渡した。校長からは竜中訪問記念品を頂いた。
その後、親切な案内で校内を懐かしく見て回ることができた。校舎等は、昔の面影をとどめているところと、新しい部分が混在していたが、充分に昔を忍ぶことができた。
生徒の為の、隣席との間を仕切り板で隔てた自習室が多くあり、韓国の高い進学熱を垣間見た思いがした。その後、バスで南山の西側を北上して、地下鉄明洞駅前のソウル・プリンス・ホテルに落ち着いた。
その間、宮阪君がバスに乗っていなかったというハプニングもあったが、夕方無事ホテルに現れたので一同安心した。チェック・イン後、私は寸暇を惜しんで、タウン・ウオッチングに出かけ、明洞から南大門市場等を巡った。
夕食は、韓式料理のフル・コ―スだったが、料理の種類も多く美味しかった。夕食後は、ホテルのカラオケ・バーで日本の歌を歌ったが、韓国の若い男女のグル−プも賑やかにやっていて、韓国人の微妙な対日感情、日本文化隔離政策等を知っているので、彼等の気持が若干気になった。翌日は、景福宮、国立民族博物館等の市内観光後、梨泰院の近くの韓式食堂で、昼食に参鶏湯をとったが、これも初めての経験でなかなかいけた。
梨泰院の横文字の並んだアメリカン・タウンから三角地方向にぶらぶら歩きをしていたら、途中で、思いがけなく、庭に軍用機、戦車、大砲等多数を展示した軍事記念館に出くわした。これは、私のガイド.ブックにものってなく、新発見だった。
記念館の外壁には、朝鮮戦争、べトナム戦争等での戦死者名が、年代順に並び彫り込まれていた。中学生、高校生等が先生に引率されて、バスで多数見学に来ていたが、国を守る為の愛国心を植えつけているように思い、日本との差を感じた。
三角地で友人と分かれ、旧元町小学校へと向かったが、旧元町通りへ通ずるガード下の道路が、再開発工事の為に閉鎖されていた。止むなく、タクシ―で竜山駅の西側を迂回し、新しく開けた電子製品商街を通って、竜山区庁前で下車した。料金は2000W(240円)で、タクシー料金は安いと思った。
再開発の為に、主要道路も遮断して工事を行うやり方は、かなり強引だが能率的な方法だと思った。日本では、こうはいかないだろう。
旧元町小学校は、18年前に来た時には、容易に見つけられたが、今回は街の様子が一変していて見つけるのに苦労した。校門の前で、明るい女生徒等と一緒に写真をとった。この学校の卒業生だと近くに居たおぢいさんに通訳してもらったが、意が通じたか?
8日には、31独立運動ゆかりのタプコル公園を巡った。リタイヤした老人達が多くたむろしている中を、独立運動弾圧の模様を描いたレリ−フを見て回ったが、周囲の目も気になり緊張した。
仁寺洞は骨董品商街、東側に入ると古い韓式の町並が残っていた。近代的な現代本社ビルを左に見ながら景徳宮観光に向かう。東崇洞は、旧京城大附近にあり、落ち着いたョーロッパ風の町並、各種大学や文蓬劇場等新しい韓国文化の息吹きを感じさせる若者の街だ。歩いていると「どこに行くのですか。案内しましょうか。」と流暢な日本語で話しかけられた。建国大学の学生で、ガイドのアルバイトをしているとか。美味しい冷麺の店で昼食を共にしながら、案内は辞退した。
ソウルの地下鉄は、4路線あり、案内は色別になっており、駅名はロ一マ字と共に駅番号もついているので、ハングルが読めなぐても迷うことはない。1区間350W(40円)で料金も安い。
車内は清潔で、若い人がお年寄りに進んで席をゆずっているのに感心した。
韓国の名門梨花女子大、延正大のキヤンパスは広々と緑豊かで、デザイン的に優れた校舎が並び、国をあげて教育に注力している様子がうかがえた。
新村の新しいグレース百貨店はアガシ達のむんむんとあふれんばかりの人出で、早々に退出した。漢江南のニュー・ソウルの押鴫洞地区。現代アパート、現代高校と現代グループが並ぶ。
現代百貨店の上階にはカルチヤー・センターもあり、店の展示等日本のデパ−トのやり方をよく調べているようだ.
最後に、地下鉄ソウル大入口で下車し、タクシ−でソウル大のキャンパス内を巡った。
延々と続く広大な敷地の中に、美しい建物があちこちに点在、スケールの大きい大学だ。
帰国日の午前中は、ホテル近くのケーブル・カーに乗り南山タワーに登り、ソウル市街を見渡した。旧竜中も見つけることができた。
南山公園内の安重根義士記念館にも立寄ったが、国を思う愛国者として尊敬されていた。
日本と朝鮮の間には、歴史的に多くの交流があり、古くは百済の人を中心に、多数の人が渡来し、日本文化の形成に貢献した。秀吉の朝鮮侵略、明治に入って植民地化の不幸な歴史もあったが、過去は過去として正しく歴史を評価していくべきだろう。韓国も独立し、新しい発展を遂げているのを喜ぶと共に、一時期、朝鮮に在住した者として両国の友好関係の増進にこれからも努力していきたい.