ゆうゆうクラブ「Chat Mate」旧VAgeC「Chat Mate」        

1、私のパソコン歴

私の専門は自動車の車体設計だったので、昭和30年代末頃から導入が始まったコンピューターには関心があり、技術計算の為のプログラム記述言語のFORTRANもかじった事がある。面倒な作業であった。コンピューターそのものも極めて高価で、社内に設備投資することも稀で、構造計算などは外部委託するのが普通だった。
その後、事務部門、技術部門、生産部門それぞれに大型コンピューターが設置されるようになり、それぞれの生産性が飛躍的に向上していった。
昭和52年頃試作部門にいて、車体の開発期間の短縮の為のCAD・CAMに取り組み、推進役をやった。
車体の開発は、1/1クレーモデルの承認(自動車のデザインの決定)からスタートする。
これの自動計測・フェアリングでラインズ(線図)を書き、それをベースに車体設計を展開する。
一方生産展開は、この数値をベースにして、数値制御のモデル・ミルで、加工可能な樹脂を使ったモデルを加工、全体を組立、チェツクして、プレス型加工用の原型とする。
その後、樹脂モデル複製のいろいろな工程を経て、試作プレス型を作り、生産用プレス型及び治工具の製作部門に各種モデル、情報を伝達する。
工場の生産準備部門は、これらのモデル、情報を基に数値制御ミルで型加工など行う。
この間の工程は、極めて面倒で、精度も要求され、この期間の短縮、合理化は極めて重要な課題であった。(現在では、この中間工程は省略され、CADで図面を書き、いきなり生産型、治工具などを製作出来るようになっている。)
昭和61年部品メーカにいた頃、当時の各社は、大型コンピューターを設置し、専門の担当者がいて、各種情報処理はここに委託するのが普通であった。この頃、高性能のパソコンが現れ、会社業務などのOA化が盛んになった。
流れは、大型コンピューターによる集中処理から、LANにより各部署に設置したパソコンをつなぎネットワークを組み、各部署が業務処理をして情報伝達する方向であった。
この流れについてコンピューター担当部署をバックアップして推進した。

個人としてのパソコンいじりは、1993に孫に欲しがっていたパソコンをプレゼントしたことから
始まる。NECの9800シリーズのデスクトップ・パソコンで、CPUは386SX(16MHz)、HDは60MB、MS-DOSで動かすものだった。
お陰で、面倒なMS-DOSをかじったが、直ぐ性能的にいきづまりあまり利用されなかった。
1995-5にNECのPC-9821Ce Model S2を導入。その後の利用状況は、チァツトメイト自己紹介
(2000-12・若干古いが)にまとめたので添付します。
2001-1から町田VAgeC「Chat Mate」に参加、仲間とパソコン及びその利用について勉強会をしています。
詳細は
ゆうゆうクラブのホームページの中の「Chat Mate」をご覧下さい。