妻の人形展
2004-3-3追加

1、人形制作を志すに至った経緯

妻は幼少期から、日常に着物を着せられ、歌舞伎、芝居、落語など、祖母に連れられていくなど日本文化に親しむ機会に恵まれていた。その為、長じても和服が好きで、着る機会も多かった。
昭和51年、子育ても終え、何かやりたいなと思っていた矢先、着物の着付け教室の案内を見て、正式に習う為、長沼静きもの学院に入学した。昭和52/7師範科終了、昭和52/10きもの着装講師1級、昭和53/1高等師範科課程終了、一応目的を達したのでここで終了。
次いで、組紐を始め、昭和54/8組紐3級講師、昭和55/3組紐専修課程修了したのでここで終了。
その間、孫、娘、親戚の着付けをしたり、組紐をプレゼントしたり、知人に請われて教えたり、いろいろと喜ばれている。
昭和55年久月木目込人形の無料講習会を受講したのがきっかけで、久月人形学院に入学した。昭和56/10木目込人形1級脇教授、昭和63/5木目込人形正教授1級でほぼ目的を達したのでここで終了。
久月人形学院に通うかたわら、昭和59/11から新宿の朝日カルチャーセンターで創作桐塑人形、市松人形の制作について村岡菊治先生に師事した。
平成11年村岡先生の逝去に伴い、教室が閉鎖されたのでここで終了。
平成3年に近所の知人で干支の木目込人形、雛人形を作りたいとの希望もあり教え始めたのが端緒で、貼り絵も含めて我が家の一室が教室兼ワイ・ガヤの交流の場になっている。


1、主な作品



虹の野原


夜 寒 む


嬉 し い 日




なつちゃん


星まつり


希望

上に掲載の、「希望」という市松人形は、亡母に平成三年に贈られたもので、喜びの短歌をいくつか残していますので、紹介致します。

    
*乙女たりし 我をモデルに 作られし 袴姿の 人形贈らる
    
*荷を解けば 姿よろしき 矢絣の 通学姿の 我のいでくる
    
*題名を 希望と名づけ 床の間に 飾りて我と 我の対面
    *額広き 特徴誇張し つくられし 四十五センチの 我と瞳の合う

    
*希望と言う  題名の如く 沸沸と 命燃やせし 頃の面影
    
*編み上げの 靴を履きたる 人形に 我の闊歩の 頃を思わす
    *ときめきの 聞こゆる如し 部屋裡に 豊けきおさげの 我と向きいて

    
*しいちゃんと 幼名を呼び 人形の 手に触れてみる 夜のしじまに
    
*テスト迫り ローソク灯し 押入れに 寮生活の 冒険もありし
    
*座布団を 目線に捧げし 作法室 良妻賢母を 自負せしものを